東京地方裁判所 昭和33年(行)17号 判決 1960年11月05日
原告 橘義道
被告 建設大臣
訴訟代理人 村重慶一 外五名
主文
本件訴を却下する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一、双方の申立
一、原告
原告が昭和三一年四月一三日に申立てた訴願につき、被告が同三二年八月一三日になした裁決を取消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
二、被告
(一) 本案前の申立
主文と同旨の判決を求める。
(二) 本案の申立
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
第二、原告の請求原因
一、原告は東京都千代田区麹町四丁目五番地の一四、宅地一二坪及び同番地の六、宅地一〇坪四合四勺の所有者であり、訴外桜井潔は同番地の一五、宅地二八坪一合の、訴外上武平八は同番地の一八、宅地二六坪八合四勺の、訴外横山清久は同番地の二〇、宅地二七坪の、各所有者であるが、原告及び右訴外人らはそれぞれ各自の土地上に建物を建築所有しているものである。なお、右各土地の位置状況は別紙図面のとおりである。
二、原告は昭和二八年一〇月二六日東京都に対し、右訴外人らの各建物が建築基準法(以下単に「法」という。)に違反しているから違反部分を是正して適正な建築物にすべきことを要請した。しかるに東京都はこれに対しなんらの処分もしなかつたので、原告は同三一年二月東京都建築審査会に対し法第九四条の規定に基いて異議の申立をしたところ、同審査会は同年三月九日口頭審査を開いて裁決を下したが、原告は右裁決を不服として同年四月一二日被告に対し法第九五条の規定により訴願を申立てたところ、被告は同三二年八月一三日右訴願のうち、桜井潔の所有建物に関する部分はこれを棄却し横山清久の所有建物に関する部分及び上武平八の所有建物に関する部分はこれを却下し、右裁決書は同年九月一日原告に送達された。
三、しかしながら、前記訴外人らの各所有建物は、以下に述べるとおり建築基準法に違反する違反建築物であるから、特定行政庁たる東京都知事は、違反部分を是正するための必要な指置をとるべきであり、したがつて右措置をとらないことを容認した被告の本件裁決は違法というべきである。
(一) 桜井潔の所有建物について
同人は前記所有土地上に、家屋番号同町五番の九建坪一三坪五合、家屋番号五番の六建坪五坪の木造平家建居宅二棟を所有していたが、昭和二七年一一月八日東京都千代田区役所麹町支所に対し、右二棟の建物の増築申請をした。右申請によれば、建築敷地面積三一坪六合三勺、既存部分建坪合計一九坪八合三勺、増築部分一階二坪一合七勺、二階一二坪であつたところ、同月一四日既存建築部分中三坪を除去することの条件で右申請のとおり建築許可となつた。しかるに同人は、昭和二八年五月末右既存部分を取毀し、その跡にまつたく新たに建坪二五坪三勺二階一二坪の建物を新築したものである。
右建物は次の点において違反建築である。
(イ) 増築の建築確認を受けたにもかかわらず、土台より全く新たな建築をなしたもので、確認申請に違反している。
(ロ) かりに増築としても、右建物の裏側は工事施行後現在に至るまでなんら防火構造の工事がなされず、外壁は依然木造のまま放置されている。これは、新築家屋は防火構造になすべきことを定めた法第六一条に違反する。
(ハ) 同人の建築敷地は、登記簿上も実測上も二八坪一合である。そして右敷地は法第四八条の商業地域の指定をうけているから、その敷地に対する建築面積は、法第五五条により、敷地面積の十分の七にあたる一九坪六合七勺を超えてはならない。しかるに、前記のとおり同人のなした確認申請における敷地面積は三一坪六合三勺であり、また実際の建築建物は床面積二五坪三勺であるから、右確認申請は虚偽であるのみならず、右建物は、敷地面積と建築面積との割合を制限した法第五五条に違反する。
(二) 上武平八の所有建物について
同人は、前記所有土地上に、木造平家建居宅一棟建坪九合二勺を所有していたが、昭和二六年一一月八日増築の申請をなし、その頃その確認をうけ、増築をした。増築後の床面積は一五坪五合となつている。
(イ) 同人の建築敷地は、登記簿上も実測上も二六坪八合四勺である。そして右敷地は、法第四八条の住居地域の指定をうけているから、その敷地に対する建築面積から三〇平方米を引いたものの十分の六にあたる一〇坪七合を超えてはならない。したがつて、一五坪五合の床面積を有する右建物は法第五五条に違反する。被告は、右敷地が現在においては住居地域の指定のほか防火地域の指定もうけているから、法第五五条に違反しないと主張するが、それならば右建物の西側外壁が木造のまま放置されてあることについてどのように説明するつもりであるか。
(ロ) 同人のなした確認申請においては、右敷地は南側において幅員四米の道路に七間にわたり接しているとされているが、事実は、右敷地と道路とは約八尺の高低の差を有する。法第四三条によれば、建築物の敷地は道路二米以上接していなければならない。右規定の趣旨からすれば、同人は右道路に敷地を接着せしめるためには石段を設置しなければならない。しかるにこれを設置しないから、右同条に違反し、法第八条の建築物の維持保全の義務に違反する。
(ハ) 同人は、右増築工事を完了しているにかかわらず、現在に至るまで建築主事に対して完了届を提出していない。のみならず、建築主事の検査済証の交付をうけることなく、現在その増築部分を使用している。これらのことは法第七条に違反する。
(三) 横山清久の所有建物について
同人は、昭和二五年一〇月一三日旧市街地建築物法により建築許可の届出をなし、右届出によれば、その敷地は、同人所有の幅六尺七寸長さ約四間の矩形の土地によつて道路に接していることになつているが、右矩形の土地は当初から同人の所有でなく訴外島津邦夫の所有であり、後に原告がこれを譲受けたものである。したがつて、横山の所有建物の敷地は、結局道路に接していないわけであるから、法第四三条に違反している。右建物は旧市街地建築物法により建築されたものではあるが、特定行政庁が昭和二九年八月一四日頃建築基準法違反なりとして、東側湯殿約一坪に対し除却命令を出した事実があるから、同法によつて規律さるべき建物である。
四、よつて被告のなした本件裁決の取消を求める。
第三、被告本案前の主張
原告は被告のなした訴願裁決によつて何等その権利を害されるものでないから、右裁決の取消を求める法律上の利益を有しない。
一、建築基準法は、その第一条が明定するように、国民の生命、健康及び財産の保護を図り、もつて公共の福祉の増進に資することを目的とする建築行政の立場から、建築物の敷地、構造、設備及び用途に関する最低の基準を定める。これによつて規制される者は、建築主であり、更には建築物の所有者、管理者、占有者(以下これらの者を総称して「建築主等」という)である。建築を私権の自由な行使にゆだねるときは種々なる弊害が生ずる。たとえば耐久防火に対する考慮を欠き、或いは通風採光等を度外視して保健衛生上に害ある建物が建築されることが多く、かくては一朝地震、洪水、火災等の発生したとき、その災害はいたずらに大きくなるのみならず、国民の健康保持、体位向上の見地からも好ましくない。また都市に対する人口の集中は、宅地の細分化を誘発して土地の効率的利用を妨げるのみならず、上水道、下水道、電気、瓦斯等の都市計画の総合的樹立を不可能ならしめて、都市全体の発展を阻害するに至るし、更には都市の立地条件に応じて分化した住居、商業、工業地域を無視して、その地域にそぐわない用途の建物が建築せられて、ただにその建築主等の不利益のみならず、都市全体の発展を妨げるに至る。このような国もしくは都市全体としての立場からみて好ましくない現象を取除こうとするのが建築基準法の狙いである。すなわち、都市全体が耐久性のある建築物で蔽われ、かつ人家稠密の度合に応じて耐火防火の点に欠くることもなく、地域に適した用途の建物が一定面積のうえに一定の規模で築造されることによつて、都市住民としての建康で文化的な生活を営みうるようにするのが建築基準法の目的である。したがつて、同法は、都市住民の各自に各自の利益のために、そしてひいては都市全体の利益のために、同法の定める基準の遵守を要求はするが、近傍隣地の居住者のために同法に定める基準の遵守を看視するものではない。近傍隣地の居住者のためのみに他の者の私権の行使を制約することは、これらの両当事者間に契約があるか、それとも民法の相隣関係に規定するような土地相互間の特別な関係が存することが必要である。このような関係がある場合には、国家は民事実体法規を制定して、私権相互間の調整を図りはするが、行政法規において、公益目的から離れて単に個人の利益のために他の個人の権利を制限するが如きことはありえない。すなわち、建築基準法は民法所定の相隣関係の規定の特則ではなく、公共の福祉のために必要があればこそ、その必要な限度において私権に加えた制限の法規なのである。
これを要するに、同法は公共の利益の保護を目的とするのであつて、建築物の隣地または近傍隣地の所有者や、それらの土地上にある建物居住者の利益の保護を直接の目的とするものではない。建築基準法適用の結果、同法所定の基準に適合しない違反建築物の建築が禁止され、また是正されることによつて、これらの者の保健衛生、防火等の見地よりする生活利益が保護される結果になり、しかして右のような近傍者の生活利益の保護が同法の意図する効果の一つであることは否定できないが、それは附随的、反射的な利益にすぎず、これをもつていまだ法律上の利益というを得ないものである。
試みに原告が主張する建築基準法違反なる事実を右訴の利益との関聯において検討してみる。
まず原告は、訴外桜井は増築についての建築確認を得ながら、既存建物を取りこわして新築した違反があるという。既存建物と確認を得た増築建物の建築面積の合計が、これを取りこわして新築した建物の建築面積と同じであれば、近傍隣地の居住者に、法律上の影響はもとより、事実上の影響も与えるとは考えられない。かかる違反によつて害されるものは建築行政の意図する公共の利益以外には考えられない。
原告は、訴外桜井、同上武の建物に防火構造の点において違反があるという。そもそも防火構造を法が要求する理由は他からの延焼を防止し、建築主等の生命財産を保護するとともに、都市全体の災害をできる限り小さくしようとするにある。建物が防火構造であるときは、自ら火を失した場合の隣家への延焼の防止に役立つことも考えられるが、法は建築主等が自ら火を失する場合を予想して防火構造を要求しているものではない。不時の災害にそなえて、都市住民の生命財産を保全しようとして防火構造にすることを要求しているのである(法第二二条、第二三条参照。)したがつて、防火構造に関する規定も、隣家或は近傍の住家に居住する者に、違反建築物の是正を求める法律上の権利もしくは利益を附与するものではない。
原告は、訴外桜井、同上武の建物について、建蔽率の違反を挙げる。建蔽率は、宅地の細分化を防止し、上下水道等の都市の総合計画に資するとともに、建築主等の通風、採光等の保健、衛生の見地から定められるものであるが、あくまで当該建物とその敷地との間で技術的に定められているものである。したがつて、近傍隣地における現実の建蔽度合は、右にいう建蔽率になんら影響を与えるものではない。当該建物とその敷地との関係が、法の要求する割合に欠けることがなければ、右建物が隣家に接近して建築せられ、隣家の通風、採光を妨げることがあつても建築基準法上は、隣家の居住者としてはこれを違法不当として非難しえない。
そうだとすれば、法の要求する建蔽率の違反なるものは、建築主等の自らの利益を損い、建築行政の意図する効果を阻害するものであるとはいえても、近傍隣地の居住者の利益を損うものとはいえないのである。
原告は、訴外上武同横山の建物について、その敷地と道路との関係において違反があるという。建築敷地が道路に二米以上接していなければならないとする法の理由は、該敷地上にある建物に居住する者の利便を考慮してのものである。近傍隣地に居住する者が右違反によつて何らの利益も損われるものではない。
以上によつて明らかなように、建築基準法に違反する建築がなされることによつて不利益を蒙る者は、建築主自身であり、又公共の福祉自体である。公共の福祉は、個々人の利益を含むものであるが、個々人の利益の算術的総和が公共の福祉なのではない。個々人の利益は公共の福祉から流出する結果なのである。
二、原告は、建築基準法によつて保護されている生活利益が、特定行政庁たる東京都知事が桜井潔外二名の建築基準法違反の建物について是正措置をとらないことによつて侵害されていると主張する。しかし、原告のいう生活利益に変動を与えたものは、訴外人らの違反建築行為であつて、特定行政庁はこれに対して少しも加工していない。したがつて、右の特定行政庁の態度を容認した建築審査会の裁定及び被告の裁決なるものは、それ自体をみれば裁断行為としての行政処分といいうるかもしれないが、なんら原告の現在の生活関係に変動をもたらすものでない。そうすると、原告の主張するような意味においては、被告の裁決は適法な行政訴訟の対象たりうる行政処分といえないから、その取消を求める本訴請求は不適法である。
これに対しては、原告はこう反論するであろう。特定行政庁は訴外人らの違反建築物を除却する義務を有する。特定行政庁が右義務を履行するならば、原告が現在蒙つている生活関係上の不利益は救済される。したがつて、特定行政庁が訴外人らに対してなんらの是正措置をとらないということは、原告の生活利益の侵害という結果に対しては原因力を与える行為にほかならないと。しかし不作為が作為と同様の価値評価をうけ、違法であるとされるためには、その者に結果発生に対する防止義務があることを要する。甲の不作為が乙の不利益に関係があるとしても、甲に乙のためにその損害を防止する作為業務がなければ、甲の不作為をもつて違法であるとすることはできない。これを本件についてみると、特定行政庁が原告のために訴外人らの建築物を除却する義務を有するものでなければ、特定行政庁の不作為をもつて違法と評価することはできない。特定行政庁が建築基準法第一条に定められた公共の福祉のために違反建築物の是正する義務を負うものであることは被告としても認めるが、このことから直ちに原告のために違反建築物を除却しなければならないという義務が生じてくると断ずることは誤りである。
建築基準法第九四条第一項が、特定行政庁又は建築主事がこの法律又はこれに基く命令若しくは条例の規定に基く処分をしないことについて不服がある者は、当該市町村又は都道府県の建築審査会に、文書をもつて異議の申立をすることができる、旨定めているのは、正しく行政庁の不作為の取消争訟を認めたものと解することができる。しかし同条は、一般的に提起することができない行政庁の不作為の取消争訟を、建築基準法に関する事項については提起できることを規定した手続規定たるに止つて、進んでこれが争訟を起しうる者の適格までも規定したものではない。「処分をしないことについて不服ある者」とは「処分しないことについて法律上利害関係を有する者」というに過ぎず、いかなる者が法律上の利害関係を有する者であるかは、建築基準法を含めた実体法が決めることがらである。そして行政庁の不作為によつて侵害される法益が、行政庁に対して行政行為を要求する権利にあることにかんがみれば、右のような異議を申立てうる者は、行政庁に対して行政行為を要求しうる公法上の権利を与えられた者であることは明白である。たとえば、建築確認の申請をなした建築主がこれに該ることは同法第六条等の規定によつて明らかである。ところが原告の主張するような他人に対する行政処分を求めうる権利なるものは、同法中はもちろんその他の法律、政令のいずこにも規定をみない。隣地に違反建築物が存在することによつて不利益をうけるというだけでは、いまだ同法第九四条における異議を申立てうる利益といえないのである。
建築審査会は、原告からの異議と題する申立について審査し、裁決と題してその判断を原告に通知しているが、そもそも異議権者でない者がした不服申立は同法第九四条にいう異議ではない。したがつてこれを棄却し、または却下する審査会の行為も、同法にいう裁定ではない。このことは原告が被告に対しなした訴願と題する申立及びこれに対して被告がなした裁決と題する行為についても同様である。原告の被告に対する不服申立は同法第九五条にいう訴願に該らないし、被告がこれについてなした行為は同法第九六条の処分に該らない。建築審査会の裁定と題した行為及び被告の裁決と題した行為は、いずれも特定行政庁に対する監督機関としての見解を示したに止まつて、これをもつて抗告訴訟の対象たりうる行政処分ということはできないものである。
第四、請求原因に対する被告の答弁
一、請求の原因第一項の事実は認める。同第二項の事実中、原告が東京都に対し原告主張のような要請をした年月日の点は被告として明らかでなく、また、右要請に対し東京都が訴外人らに対してなんらの措置もしなかつたとの点は、後述のとおり東京都は建築行政の見地から種々必要な指導をなしたものであるから、これを否認するが、その余の事実は認める。
二、同第三項の事実については次のとおり答弁する。
(一) 桜井潔の所有建物について
同人が、原告主張の宅地上にある建物について、原告主張の頃千代田区役所麹町支所に対し増築確認申請書を提出したこと、右申請書の記載によれば、その敷地面積は三一、六三八坪、既存建築物は木造平家建住宅及店舖一棟建坪一九、八三坪、増築部分は一階二、一七坪、二階一二坪であつたことは認める。しかして右申請は建築物の敷地、構造及び建築設備に関する法令の規定に適合するものであるので、建築主事はその旨を確認し、原告主張の日に同人に通知したものであるが、右確認に際し、既存建築部分中三坪を除却するよう条件を附したことはない。しかして同人が原告主張の頃工事を施行した結果できた建物が建築面積二五坪の二階建であつたことは認めるが、右建物が既存建築物を取毀して新たに建築したものかどうかは知らない。
(イ) 右に述べたとおり、右建物が土台より全く新たな建築をなしたものかどうかは知らない。
(ロ) 右建物が防火地域に属するため、法第六一条の二、法施行令第一三〇条の二により、既存建物は外壁又はこの屋内面及び軒裏が防火構造であること、そして増築部分の外壁及び軒裏は防火構造とすることを要するものであるところ、前記工事後しばらくは既存建築物の一部が防火構造でなかつたことはあつたが、東京都知事の指導によつて現在では防火構造に欠くるところはない。原告主張のように外壁に木造部分が多少残存することは認めるが、右程度では原告主張のような法規違反には該当しない。
(ハ) 桜井潔の所有土地の公簿面積が二八、一坪であり、右土地が商業地域に属するものであることは認めるが、法第五五条にいう敷地面積は建築主の占有する土地の面積をいうものであつて、同人の敷地面積は三一、六三八坪あるのであるから、同法による建築面積は計数上二二、一四坪となる。ところが同人が増築した当初の建築面積は二五坪であつたため、東京都知事は周囲の情況等をかん案して、その一、一六六坪を除却するよう指導し、現在は建築面積二三、八三四坪となつているものである。
(二) 上武平八の所有建物について
同人がその所有地上の建物について、原告主張の頃増築確認申請書を提出したこと、その頃建築主事が右確認をなし同人に通知したこと、同人がその頃増築工事を施行し、増築後の建築面積が一五、五坪となつたことは認める。同人提出の増築確認申請書によれば増築後の建築面積一五、五坪とするものであり、敷地面積は三五、四一坪であつた。
(イ) 同人の建築敷地が住居地域に属することは認める。しかして同人の敷地面積は、右増築確認申請後その東側において隣地土地所有者との紛争の結果減少したけれども、西側において借地したため、三七、九八坪となつており、法第五五条による建築面積は計数上一七、三八坪となる。なお、右土地は現在防火地域の指定もうけているから、右同条による建築面積は二二、七八坪となるものでもあるから、同人の建築物はなんら法第五五条に違反しない。
(ロ) 同人の前記増築確認申請書によれば、同人の敷地は南側において幅員四米の道路に約七間にわたり接しているものであり、現在もほぼ同様であることは認める。そして、敷地と右道路と若干高低の差があること、現在右両土地間に石段等の設備のないことは争わないが、このことから法第四三条、第八条に違反するものとする原告の主張は争う。
(ハ) 同人が建築主事に対し工事完了届を提出していないこと、建築主事の検査済証の交付をうけることなく増築部分を使用していることは認める。しかし同人の建築物は法第六条第一項第四号に該るものであるから、検査済証の交付前に使用しても法第七条に違反しない。
(三) 横山清久の所有建物について
同人が原告主張の日に旧市街地建築物法による増築認可申請書を提出したこと、右申請書によれば、敷地面積は三一、五坪で幅七尺長さ四間の矩形の敷地によつて道路に接しているものであること、右矩形の敷地が、原告主張のようにその後原告の所有となつたものであることは認める。しかし建築基準法施行前からある既存建築物が、右事由のために同法第四三条に違反することになるものでないことは、同法第三条第二項によつても明らかである。なお、同人は右建築物の東側において湯殿一坪を増築したことがあり、これが同法第六一条の二、同法施行令第一三〇条の二に違反するものであつたため、指導して昭和二九年九月四日これを除却せしめたことはある。
三、以上のとおりであるから、訴外人らの建物には原告主張のような建築基準法違反の事実はない。
第五、被告の本案前の主張に対する原告の主張
原告の所有建物と訴外人らの所有建物との位置状況は別紙図面のとおりであり、上武、横山の各建物は、僅かに幅員二、三米ないし、一、八米の袋路(これは原告所有の千代田区麹町四丁目五番地の六の宅地一〇坪四合四勺に該るが、右土地は訴外人らのための道路用として使用されているものである。)によつて公道に接している状況であり、桜井の建物は原告の建物と殆んど隙間もない程度に隣接している。このような状況におかれた原告としては、万一火災などの場合には、訴外人らの建物が防火設備に欠くるところがあることにより、不測の損害を蒙るものというべく、又、建蔽率を定め、敷地が道路に接すべきものと定めた建築基準法の目的は単に建物の通風、採光の点からだけでなく、火災等による避難、及びその家屋の密接して建築されることに対する災害防止の見地からも定められたものであるから、原告は被告が是正措置を執らないために不測の危難にさらされており、したがつて原告には、被告の本件裁決の取消を求める法律上の利益があるというべきである。
第六、証拠<省略>
理由
原告の本訴請求は要するに、原告の所有建物に近接する訴外人ら三名の各所有建物が建築基準法に違反していので、原告が東京都に対し違反部分を是正するための必要な措置をとるよう要請したところ、東京都はなんらの処分もしなかつたので、法第九四条、第九五条の規定に基き、特定行政庁が法の規定に基く処分をしないことについての不服としての異議、訴願を順次申立たところ被告は右訴願を、一部は棄却し、一部は却下する旨の裁決をしたが、特定行政庁たる東京都知事は違反部分を是正するための必要な措置をとるべきであり、したがつて右措置をとらないことを容認した被告の右裁決は違法であるから、その取消を求めるというにある。
法第九四条第一項は「特定行政庁又は建築主事がこの法律又はこれに基く命令若しくは条例の規定に基いてした処分について、又はこれらの規定に基く処分をしないことについて不服がある者は当該市町村又は都道府県の建築審査会に、文書をもつて、異議の申立をすることができる。」旨、第九五条は「前条第一項の規定によつて異議の申立をした者は、同条第三項の規定による裁定に不服がある場合又は特定行政庁若しくは建築主事が裁定に従わない場合においては、同条第五項の規定による通知を受けた日から一月以内に、建設大臣に訴願することができる。」旨、それぞれ規定している。そして、原告が前記異議、訴願において不服の対象としているところの、特定行政庁のなすべき処分とは、法のいかなる規定に基く処分をいうのかは必ずしも明瞭でないが、原告の主張の趣旨及び成立に争ない乙第七号証(異議申立書)、同第九号証(訴願書)の各記載を総合して考えれば、それは違反建築物に対する特定行政庁の是正措置を定めた法第九条の規定(「特定行政庁は、この法律又はこれに基く命令若しくは条例の規定に違反した建築物については、その建築主、建築工事の請負人、建築工事の現場管理者又はその所有者、管理者若しくは占有者に対して、工事の施行の停止を命じ、又は相当の猶予期限をつけて、当該建築物の除却、移転、改築、増築、修繕、模様替、使用禁止、使用制限その他これらの規定に対する違反を是正するために必要な措置をとることを命ずることができる。」同条第一項)を指しているものと解することができる。
しからば原告が本訴でその取消を求めている被告の本件裁決(ないし東京都建築審査会のした異議に対する裁定)は、取消訴訟の対象となりうべき行政処分としての性質、換言すれば原告の具体的な権利利益に法律上の変動を与える処分としての性質を有するものであろうか。このことを肯定するためには、原告が法第九条の規定に基く是正措置の行為を特定行政庁に対して請求しうる公法上の権利を有すること、すなわちこれを反面からいえば、特定行政庁が原告に対する関係で右行為をなすべき義務を負つていることが肯定されなければならない。けだし原告が、もともと右のような請求権を有しないのなら、たとえ特定行政庁が、原告からの申入れに対して、是正措置に関するなんらの行為をしなくても、そのことによつては原告の具体的な権利利益に法律上なんらの影響もないはずであり、この関係は、原告において、特定行政庁が右行為をしないことを不服として異議、訴願を申立て、これが容れられなかつた場合についても、とくに別異には考えられないからである。
ところで原告が、訴外人らの建築物がそれに違反しているものとして指摘する法の各規定のうち、たとえば、防火地域内における建築物は防火構造とすべきことを定めた法第六一条の規定などは原告のような近隣居住者の利益をも保護法益としているものと解すべきで、したがつて右規定の制限によつて近隣居住者のうける利益は、単なる法の反射的利益にすぎぬものではないと解されることは原告主張のとおりであるけれども、しかしそれだからといつて、右規定に違反する建築物が近隣に存する場合に、近隣居住者には、法第九条の規定によつて、特定行政庁に対しこれが是正措置の行為を求めうる権利があるものと直ちに解することはできない。右同条の是正措置に関しては、建築主に対しては規定の性質上当然であるが、近隣居住者のような第三者に対しても、右措置を求める申立権をとくに附与した規定が存しないこと(法第九四条第一項をもつて、右申立権を実体上附与した規定と解することはできない。)、及び右規定の文辞などに徴すれば、むしろ右規定は、特定行政庁のなすべき一般的義務を定めたものにすぎず、したがつて右義務は、近隣居住者等個人に対する関係での具体的義務ではないと解するのが相当である。果してそうだとすれば、たとえ特定行政庁が原告からの申入れに対して、是正措置をとらなくても、そのことによつて原告の具体的な法律上の利益が毀損されたということはいえないわけであり、異議に対する裁定、訴願に対する裁決についても、右と同様、これらの処分によつて、取消訴訟をもつて否定すべき権利利益の変動がもたらされたとはいえないわけである。
法第九四条第一項及びこれをうけた第九五条にいう「特定行政庁又は建築主事が処分をしないことについて不服がある者」とは、本来、たとえば法第六条により建築確認の申請をした者のように当該処分をなすべきことを行政庁(建築確認については建築主事)に求めうる権利を有する者を指すと考えられる。けだし、異議、訴願もまた行政権の内部における争訟手続であることの性質上、申立にその権利利益の侵害のあることが要件とされるというべきだからである。
しかし、右規定が不服申立権者の範囲をとくに限定していないことからすれば、原告のように、当該処分を求める権利を有しない第三者に対しても、該処分がなされることに利害関係を有することを理由に(本件でいえばば、たとえば防火構造に関する違反)、行政監督権の発動を求めうる簡易かつ確実な方法として、異議、訴願を申立てうることを認めた趣旨と解せられないこともないであろう。しかしながら右のような意味での異議、訴願はは、前者の意味での異議、訴願とは性質上異なり、したがつて、それに対する建築審査会の裁定、建設大臣の裁決も、その性質は、監督権の発動に応じ、或いは応じないという監督権者としての事実上の態度を表明するものにすぎないというべきである。被告のなした本件裁決も、右後者の意味での裁決として、その性質上は右の単なる事実上の措置であるにすぎないというべきであるから、これが当不当はともかくとして、原告の法律上の地位に影響を及ぼすべきいわゆる行政処分ということはできない。
右のとおり、被告の本件裁決は取消訴訟の対象たりうる行政処分といえないから、これが取消を求める原告の本件訴は不適法として却下することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 石田哲一 下門祥人 桜井敏雄)
(別紙図面省略)